2012年3月8日木曜日

羽生善治という人がもし戦後すぐ登場する棋士であったとすれば、戦後の将棋界はど...

羽生善治という人がもし戦後すぐ登場する棋士であったとすれば、戦後の将棋界はどうなっていたでしょうか?すごい乱暴な仮定ですけど。


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人間は時代が作ると言います。羽生世代は典型的なデジタル世代で新人類です。戦後から昭和40年代くらいまでは棋士の生活も大変だったようです(もちろん一般の人も)。戦後の荒廃から、何もないところからイチから苦労して生きてきたのが、升田、大山世代です。若いころから苦労しているため人間的な深みがありました。また自分のためというよりも社会のため、棋界のため多大な尽力をしました。羽生世代は将棋は非常に強いですが、そういった意味での棋界への貢献はあまりありません。今の関西将棋会館を設立するために、大山名人は大変な努力と苦労をしました。また当時はみんな内弟子からプロになっていまして、内弟子とは師匠と住居を共にし、家事をしながら将棋の勉強をすることで、以前羽生は家の掃除は買い物をするくらいなら将棋指しにはならなかったというようなことを言っています。そういう意味では羽生君は当時だったらプロ棋士にならなかったかもしれません。ある意味よい時代にいたと思います。



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羽生時代は来なかったかもしれないですね。昭和の将棋は 技術だけではなく番外戦というか人間力を問われた時代だったようですから。


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羽生世代は中終盤の強さはもちろんずば抜けていますが、そもそもあれだけ革新的に将棋界を変えたのは、「序盤でリードして逃げ切る」ことを意識しているからです。そしてこれは羽生世代よりひとつ上の世代、つまり55年組(特に島朗九段)からの思想で、時代が生んだ考えと言えます。中終盤の力だけで挑むなら、ただの強い棋士だけで終わる可能性があるでしょう。勢力図を変えても、将棋を変えることはないと思います。やはり時を待たなければ。

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